トップページ > トピックス[2000年] >

トピックス
国内情報

2000年問題の残された課題

(2000.1)


  1. はじめに
  2. 各国は2000年をどう迎えたか
  3. まだある危険
  4. 残された課題


1.はじめに
 大山(泰山)鳴動して鼠一匹。日本だけではなく世界中の人々の2000年問題に対する現在の感想はこの一言に尽きるであろう。
 この2000年問題は(実際の世紀末は2000年の末であることは別として)「世紀末の馬鹿騒ぎであった」と評価すべきものなのだろうか。筆者はそうは考えない。むしろ重要な問題は先送りされており、今後検討すべき課題はいまだ多いと考えている。
 筆者はかつて2000年問題について以下のような記事を公開してきた。
  1. 電子バンキングの発展と2000年問題
  2. 1998年大胆予測
  3. 2000年問題への法的対応
 特に(2)の記事では、2000年問題対応は間に合わず、2000年1月1日到来を待たず問題が生じること、しかし訴訟にまで至るような事態にはならないことを予想した。この記事を執筆した当時はもう少し重大な事故が発生すると考えていたが、後述する様に実際にはそれほど重大な事故というものは発生せず(なお、ここでいう「重大な」とは社会的な影響が大きいということであり、既に報告されている2000年問題トラブルも当事者にとっては深刻なものが多い)、その点では予想がはずれたともいえるが、その他の点については概ね予想は正しいものであった。

 ところで、筆者は不謹慎ではあるが、「重大な」事故が起こってくれることを密かに願っていた。上で触れた記事にもあるように2000年問題で訴訟が起こることはないであろう。もし起こるとすればそれは極めて「重大な」事故が発生し、訴訟を提起したうえでその損害を回復せざるをえない状態に陥った時である。そのように追い込まれないと、この問題に関する法律判断はなされ得ないというのが筆者の見解である。2000年問題がある種のバグ(ソフトウェアの不具合)によるソフトウェアの誤作動によってもたらされる被害であるとすれば、2000年問題を扱った訴訟での法律判断は極めて重要となる。このような貴重な先例を得ることができる機会が「残念ながら一つ減ってしまった」というのが筆者の偽らざる心境である。

 以下では2000年を迎えた各国はどうであったかを2で、問題の起こり得る日は2000年1月1日だけではないこと3で述べたうえで、最後に4で真に残された課題について触れたい。

2.各国は2000年をどう迎えたか
 もっとも早く2000年を迎えるニュージーランド、そしてその次に2000年を迎える日本の状況に世界の注目が集まっていたが、2000年1月1日を迎えた世界各国はこの2000年問題に起因するトラブルによる深刻な事態に見舞われることはなかった。

 主なところでは、1日に日本の西暦2000年問題官邸対策室は、「ガス,電気,水道,交通などのライフラインに重大な障害ない」と安全宣言を発表し、米政府も、3日にコンピューターの2000年問題は解消されたと宣言するとともに、世界中のコンピューター・システムの監視態勢の縮小を開始したことを明らかにした。5日には米証券取引委員会(SEC)が、コンピューターの2000年問題による金融市場への影響がみられなかったことから、この問題に関する市場の監視を緩和することを明らかにした。

 欧州では、欧州委Y2K監視センターが、欧州連合(EU)加盟15カ国の状況について、「コンピュータ2000年問題への対応策は大方が成功したが、今後数カ月は、小さな誤作動の組み合わせが障害を引き起こす可能性が依然残っている」との見方を4日に示した。

3.まだある危険
 2000年問題は、2000年1月1日に主に発生するが、以前の記事で触れたようにそれ以前でも生じうるし、2000年1月1日を過ぎたこれからでも生じうることは今一度肝に銘じておく必要がある。 これはコンピューターが扱う日付は様々な形を取るからである。2000年問題に対応していないソフトウェアが1月1日以後に日付にかかわる処理を始めトラブルが起きる可能性は十分あり得る。それを2000年問題と呼ぶかどうかはともかくその障害の本質は2000年問題と何ら変わりない。

 まず「うるう年問題」。現在のグレゴリー暦では「百で割り切れる年はうるう年にしない」というルールだが、2000年はさらに特例で400年に1度のうるう年になる。これに配慮せず作られたソフトウェアが2月29日を迎えて曜日や日数の計算を誤るかもしれない。そこで2月29日や3月1日が危険日の一つといわれている

 そのほか、日本特有の問題として、2000年に入って年度替わりを迎える4月1日も危険日として注意したほうがよい。

また最近LinuxがWidowsの対抗馬として注目を浴びているが、これは基本ソフト「UNIX」の亜流であり、Linuxを含むこれらUNIX系のOSを使って開発されたソフトウェアも要注意だ。UNIXはその設計上、1970年1月1日0時0分0秒を基点として時間を取り扱っている。時間を格納するシステム変数「time_t」は32ビットの符号付整数であり、正の数としては2147483648までしか扱えない。1970年1月1日0時0分0秒から2,147,483,648秒後は2038年1月19日3時14分8秒であり、これを越えると日付の管理ができなくなる。同様にUNIXと関連が深いプログラム言語「C」で組まれたソフトの一部はこの日以後は使えなくなる。

 昨年の1999年9月9日が危ないという珍説とは異なりこれらの日付は問題の発生の蓋然性が高い。

 これらの日付問題は(狭義の2000年問題も含めて)ソフトウェアのバグ(不具合)の一種である。年々複雑化するソフトウェアにはこのような日付の問題だけではなく、数多くのバグが存在することが避けられない。筆者が「危険はまだまだ残っている」と主張するのはこのためである。

4.残された課題
 2000年問題でライフラインが止まる、食料不足になる、銀行が機能を停止する及び原発が暴走するという事態を懸念することを「杞の国の人が天が崩れ落ちてくると心配して寝食をとらなかったという『列子‐天瑞』の故事」になぞらえて一笑に付すのは、この問題に対する正しい取り組み方ではない。天が落ちてくることはあり得ないが、上に挙げた事態は可能性は極めて少ないまでも現実に可能性があることであったのだ。そして適切な対策を取らなければ上に挙げたような事態が頻発したであろうことは想像に難くない。2000年への移行が「ごく小さな問題だけで済んだのは、世界が協力して対応にあたったためだ。もし人々がこの問題を無視していたとしたら、本当に大きな衝撃があっただろう」との米国マイクロソフト社会長ビル・ゲイツ氏の言葉は的を射た発言だろう。

 わが国においては既に数多くのコンピュータが社会生活に取り込まれている。今後、高度情報通信社会が発展していく上で、コンピュータはありとあらゆる形態で我々の生活に融け込んでくるであろう。そのコンピュータを動かすのはあくまで不完全な人間が作ったプログラムである。そのコンピュータがバグによって誤作動して損害を発生させた場合にどのように社会は対処していくべきか、いやそもそもどのようにそのような事態を防ぐべきか、それが問題なのである。我々が取り組むべきは、2000年問題だけではないということに注意すべきであろう。

例えば東電の事例での処理のあり方はわが国の危機管理の危うさを改めて認識させるものであった。事業者と監督官庁の意思の疎通の不十分な点、事業者が直接安全対策を行うのではなく、下請け事業者にその全てを行わせていた点などは、今後重大な事態を引き起こす可能性をはらんでいるといえよう。

 また、今回は無事事態を乗り切った金融機関であるが、1985年のバンク・オブ・ニューヨーク事件(米国財務省証券振替決済システムの一翼を担っていた銀行において、ソフトウェアのバグにより連銀勘定の赤残が三百億ドルにまで膨らんだ事件。連銀からの236億ドルの緊急融資で乗り切ったが、そうでなければこの銀行の倒産のみならず多大な市場への影響が予想された)を思いおこせば、バグによるシステムダウンを起こさない、また起こっても連鎖的な市場への悪影響を防げるだけの体制が求められているのだ。

 さらに、製造業では次のような問題も考えられる。今後電子商取引の進展により製造業においてもB to Bのネットワークが構築されいくことが予想される。例えばリストラを進める日産自動車は部品を納品させる下請企業を絞っていくと言われているが、そのように下請企業を絞った状態で、自動車生産に不可欠な部品を作る会社のどれか1つが部品を納入できなければ、生産の全プロセスが止まってしまう可能性がある。もしもその小さな会社が、2000年問題をはじめとするソフトウェアの不具合によって工場の操業停止を余儀なくされた場合、日産が車を出荷することができなくなるのだ。一般に中小企業の方がこの様なソフトウェアのバグ問題に対してぜい弱であることは従来より指摘されている。

 2000年も始まったばかりであり、我々はまだこの問題について総括できる段階には達していない。しかしながら私が非常に心配しているのは、2000年1月1日を無事通過したという一点をもって、社会全体が安心してしまうことである。それはとても危険なことであると警告しておきたい。今後も重大な事故は起こりそうにないものの、今後数ヵ月は小規模なトラブルが続発してコンピュータ・システムが混乱する可能性があることに留意すべきだ。 そして本当に考えるべきことはそれらの対策だけではなく明確な法的責任分担と社会がそれをバックアップする仕組み(保険など)を整備することではないだろうか。

(政策研究担当 山神清和)
e-mail:yamagami@icr.co.jp

(入稿:2000.1)

このページの最初へ
トップページ
(http://www.icr.co.jp/newsletter/)
トピックス[2000年]