2010年9月27日掲載

2010年7月号(通巻256号)

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InfoComモバイル通信T&S

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[tweet] コラム〜ICT雑感〜

「コンテンツ」と「再生端末の『形』」の関係についての一考

 リアル商材のカタログやTVショッピングによるプロモーションと電話やFAX、手紙による注文という通信販売をインターネット利用に置き換えたEコマースモデルに対し、音楽や、写真、TV・映画、TVゲーム、図書といったいわゆる「コンテンツ(情報)」は、デジタル録音され、デジタル撮影され、ワープロで記述され、デジタルで版型がつくられるというようにデジタルデータ化が進んでいる。デジタル化されたコンテンツは、CD、DVD、書籍などの「リアル媒体」に焼き付け、印刷されて、消費者に届けられ、消費者の元で、本来のコンテンツに再生される。このデジタルコンテンツにおける流通媒体をリアル媒体からインターネットに置き換えるEコマースビジネスモデルの場合でも、基本的には、消費者側における音楽プレーヤーやTV受像機などの、デジタルデータをもとのコンテンツへ復元する再生装置の存在を前提としていることには変わりはない。この再生装置の機能・形態・インターフェースを含む広義の意味での「形」は、コンテンツの種類とそのコンテンツを鑑賞する「使用場所」により左右される。従って、リアル媒体流通がインターネット配信に置き換わるかどうかは、「リアル媒体に比べたインターネット配信の利便性・経済性」に加えて、インターネット配信先でのコンテンツ復元度を左右する再生装置の「形」が問題となる。ここでは、再生端末のコンテンツ復元度という観点から、デジタルコンテンツ流通の近況について考えてみたい。 

 日本では、2007年を境にインターネット利用の主役は、従来のPCから携帯電話に代わった。従ってこの端末のコンテンツ復元度の問題は、携帯電話端末における問題と同義である。

 まず音楽というコンテンツについて見てみると、長らくその流通媒体は、ディスクやテープであったが、携帯を中心としたインターネット配信のウェイトが年々高まっている(2007年25.3%、2008年27.7%:出所:(財)デジタルコンテンツ協会「デジタルコンテンツ白書2009」)。音楽の端末側の復元性は、ステレオやサラウンド技術の進歩により、特に専用のオーディオ装置による復元度はきわめて高いものとなっているのに対し、PCや携帯端末では、iTunesや「着メロ」のインターネット配信の音楽の音質は、CDより劣るといわれる。しかし携帯の場合はもともと「ながら」的鑑賞に適した種類の音楽の野外視聴を可能にした「ウォークマン」という携帯再生端末の代替であったから、音質自体は、音楽配信の普及には問題がなかった(音質がCDより劣るからiTunesは聞かないという人々も少数はいるようである。しかしCDの出現の時も、LPに比べ高音域がカットされているとして問題視する向きがあり、高音域も復元した高音質CDが開発されたことを考えれば、音質の改善は時間の問題にすぎないと考えられる)。一方、クラシックなど、室内で長時間精神を集中して聞くような類の音楽では、再生端末としての大きなスピーカーをもつ据置き再生装置の優位性は揺るがないだろう。 

 次にニュースを含むTV番組や映画の「映像」の復元の場合は、ラジオの延長上の発展ともいえる「音声」への補足的性格が強いニュースや筋が重視されるドラマ番組などでは、3インチ程度の表示画面しか持たない携帯端末でも視聴上の問題ない。しかし競技場や映画館での大きな視野での長時間鑑賞が元々の鑑賞の姿であり、大画面の迫力や構図の美しさなど映像それ自体を楽しむことに価値があるスポーツ中継や映画などの再生端末としては、薄型TVの大画面や高精細さ、音響、(さらには3D化)に、小画面の携帯端末はかなわない。しかも映画等のコンテンツの鑑賞場所は、居間であるから携帯性は必要はない。 

 ゲームにおいても、ゲームの種類で画面や利用場所は左右される。そのため、ゲーム機各社とも据え置き型と携帯型のゲーム機を別々に出している。しかし携帯の小画面で十分な小ゲームもあれば、逆にコミュニケーションの延長の性格が強いソーシャルゲームのようなゲームは、もともと通信端末である携帯のほうが、ゲーム機より向いている。

 このようにコンテンツの「種類・性質」と、それに対応した鑑賞する野外内、居間、書斎といった「使用場所」の違いにより、コンテンツを復元する再生装置の「形」は分化しているのである。

 さて、いま話題の電子書籍の場合は、すこし事情が変わってくる。日本の2009年度の電子書籍市場は574億円(うち513億円が携帯市場)(出所:インプレスR&D)。一方米国では、2009年度の電子書籍市場は313百万ドル(小売ベース、出所:AAP)とされている。数字だけみると、日本の電子書籍市場は遥かに先行しており、端末の主力も携帯であるように見える。 

 しかし内容的には日本の電子書籍市場(2008年度)のうち71%(携帯82%、PCでは32%)をコミックが占めている。3G携帯端末およびパケット定額制の普及が遅れ(日本2004年、米国2008年)、kindleの登場(2007年11月)まではPC中心で、内容では、文化的にコミックは少数と考えられる米国電子書籍市場との差は、この携帯コミックの差にある。コミックを除けば、日米の電子書籍普及の差は大幅に縮まる。コミックや写真集など絵画的表現以外の文芸書等の活字主体の電子書籍の市場規模は、日本でも60億円(2008年度)にとどまっている(出所:インプレスR&D「電子書籍ビジネス報告書 2009」)。

 書籍の場合、音楽や映像の場合と違い、再生端末とコンテンツが一体化しており、書籍のサイズ自体にも歴史的経路依存性とでも言うべきものが存在する。また、活字表現における縦書き横書きの違いや、文章の割付、字体などにも各国の伝統がある。これらのことが、3インチ程度の小画面の携帯端末で活字書籍の復元の大きな制限となった(またPCにおいても、画面の大きさには問題はなくとも、書見台で読むような読書スタイルや、ページ表示、操作性などで従来の書籍の読書の再現には不十分であった)。 

 携帯では、表示は横書きで、一行12文字程度であり、ルビは困難である。一方、日本の文芸書は伝統的に縦書きで、単行本・文庫の1行は40字である。文庫は活字の大きさによるが、同様に40字前後である。新聞も縦書きで、記事の一行は12文字だが、連載小説は24字で、これは書籍の二段組みの場合の一行の文字数と同じである。一行の文字数が短くなれば、眼球の動きが煩雑になるほか(一行5字以下では眼球が疲れてしまい読み続けられないという)、一文で意味や情景をまとめて頭の中で再現することを考えると、記事に比べ一文が長い小説の場合は、改行により思考が寸断されて読みにくくなる(逆に一行の文字数が多くなりすぎると、眼は、前後の行と区別して当該の行を追うのに疲れてしまう)。夏目漱石を「横書き」で一文をコマ切れして読むときの違和感である(単なる違和感の問題ではなく、小説を横書きで読むようなると、小説の内容理解や印象などに心理的影響がでるのか、 ひいては日本文化に影響を及ぼす可能性があるのかないのかは興味深い問題である)。また、こうした端末の再現性の制約がコンテンツのあり方を逆に規定した。 

 SNSやブログや入力支援機能を持つサイトの登場により2007年日本では、ケータイ小説ブームがおこった。ケータイ小説の特徴は、「改行が多く、一文が短く、横書き、会話が多く、顔文字・記号・半音の多用」といわれるが、内容との関連は別として、これは、携帯画面の技術的制約(3インチ程度の小画面、スクロール速度、横書き)が小説というコンテンツの表現を規定した例といえるだろう。もっともケータイ小説は、いくら売れてもお手軽な自己表現にすぎず小説とはいえないという「小説もどき」という批判が強い。あたかも麦芽の合有率により税率の変わる税制が、税金を安くして価格を下げる手段として、メーカに発泡酒や第3のビールなど「ビールもどき」の開発を助長したごとくである。活字ではない、絵画表現ともいえるコミックの場合も同様のことが言える。コミックも携帯画面で読む場合は、コミックのページ(もともとは週刊誌サイズ)の全面表示が当然できないことから、コマ単位での表示という工夫がされた。しかしながら、コマ割はマンガ表現の重要な技法である。手塚治虫らが切り開き、発展してきたストーリーマンガでは昭和30年前後の雑誌1ページのコマ割を見ると、横3個、縦4列の12個の四角いコマを基本として、ストーリーの場面に応じ、コマを適宜結合して、一コマのサイズに変化をもたせることにより、動画的表現を作りだしていた。細かいコマ割は、読み手に場面切り替えのスピードを感じさせ、結合された大きなコマでは、光景の雄大さや迫力が読み手に伝わってくる(その後コマ割は斜めのコマなどを入れるなど基本にとらわれずもっと自由になって表現手法の洗練化が進んでいる)。従って、コマ割がマンガ表現の重要な要素になっている以上、携帯における1コマごとに同じ切り替えスピードで表示する方法では、動きなく、音なく、色のない二次元画面に、コマ割や、擬音やセリフの活字の大小などで、動きや音を表現して、あたかも映画をみるような世界を作り出すマンガ作品の復元は完全とはいえないであろう。逆に携帯画面の一定の大きさにあわせて、マンガが描かれるような事態となると、マンガは紙芝居の絵にもどることとなり、ケータイ小説の場合のごとく変質を招くに違いない。

 こうした技術的制約のなか、日本の電子書籍で売れたものは、コミック・文芸書等とも、書店で購入するのは気はずかしいセクシャルな内容のものであった。しかもリアルの書籍の売り上げは減っておらず、かなりの部分が新規の購入者と推定されている。これは、「もどき」であっても、そこそこ楽しめれば、リアルのものを購入する恥ずかしさに比べれば十分だということであろう。

 一方売上では日本に後する米国では、3G定額サービスの本格化(2008年)を背景に、2007年11月の6インチの画面を持つkindle、さらに使い勝手を高めたKindle 2(09/02)、さらに9.7インチ画面のKindle DX(09/06)の登場により電子書籍市場が急拡大した。2009年の全米電子書籍は313百万ドルと対前年比176%(書籍市場全体:▲1.8%)を示している。これは、配信書籍のタイトルの多さや、通信料のアマゾン持ちを含めた安い料金設定、PCを介さないダウンロードの手軽さなどにくわえ、ペーパーバックと同じ6インチの画面の大きさや紙の画面に近いEインク、ページめくりやマーカなど、インターフェイスを含めた端末の「本」の復現性が高かったことによるといわれる。「まるで従来の本を読むように、電子書籍を読める」端末の登場による、「活字書籍の電子書籍普及拡大」という意味で、米国は、2009年に日本に先んじて「電子書籍元年」を迎えたと言えよう。

 日本でも5月にiPadが発売され、Kindle日本語版の販売も時間の問題という。画面サイズからみれば、Kindle 2は、新書・文庫本サイズ、iPadやKindle DXは、単行本サイズであり、ルビや割付などを考慮した標準日本語フォーマットアプリケーションも開発中である。そうなれば端末の復元性は十分なものとなり、「もどき」による文化の継承と発展がゆがむ危険は解消され、活字書籍の本格的な電子化が進むと予想される。 

 さて新聞はどうか?新聞の紙面は約27インチの大きさがあり(なぜ新聞紙がこの大きさなのか、にはやはり歴史的経緯がある)、この紙面の大きさと見出しの大小、レイアウトによる、記事の重み付けを含めた「一覧性(短時間に多くのニュースを総覧し各記事の位置づけを把握できること)」、その一方では、軽く、折りたたみ可能、さらには読み捨て可などのきわめて高い「携帯性」を有している。この一覧できる大画面と小型軽量の携帯性という相容れない特徴を電子端末でどうバランスするのか。電子新聞が、その表現において従来の新聞の役割を維持できるかの技術上の課題はここにある。新聞1ページは27インチの画面であるが、大画面TVで新聞を読むのは、書見台で新聞を読むのとおなじでくつろがない。小型画面では携帯性はあっても、検索サイトの入口で分野選択があり、記事の見出しは一行同じサイズの活字で重み付けがなく、ただ時系列に並べられているような、インターネットニュース配信では、「一覧性」などはおぼつかない(「一覧性」の有無は、従来は関心がない分野や事象へ、目に入った見出しにひかれて読むことによりその個人の社会的文化的視野の拡大が図られるという意味でも重要である。辞書や事典を引いたときに、当該項目の周辺に記載されている項目が目にはいって知識や関心が増えるのと同様である)。 

 従来の新聞紙を単純に再現しようと思えば、紙のように丸めることのできる電子ペーパーの開発が、あるいは、その特質を再現することを目的に、携帯できる中画面の端末で、大小の大きさをつけた記事見出し一覧で「一覧性」を確保し、記事は拡大して読むといった工夫がいるだろう。

 iPadやKindle DXへの新聞配信の成果が注目されるところである。 

 音楽、映画、文学などの文化的な領域に属する作品は、その作品を創造する道具である、楽器や撮影装置、言語表現などの性質により、作品自体の表現も影響を受ける。それら具現化された作品は、現在はデジタル化され、リアル流通媒体やインターネットにより享受者に届くわけであるが、届いたそれらの作品を再現する手段は、その作品の種類や、それを楽しむ場所に左右される。音楽は、場所を選ばないことであり、再生装置はできる限り小型が望まれる。映画は、映画館の画面を考えれば設置の許すかぎり大画面が望ましく、結果「場所」は居間である。

 一方、書籍の場合は、特別の再生装置を要さないかわりに、それ自体が再生装置である書籍自体のサイズや紙質、形態を変えることにより、「内容の性質」や「場所」に対応してきた。 

 ところが、すでに使用場所に応じた再生電子端末がリアル媒体による流通段階で開発されていた音楽や映像とは違い、書籍では再生する電子端末が存在していなかったため、電子書籍を、既存の他のコンテンツの再生に向いた電子端末の流用で、すなわち書見台で本を読むようなPCか、豆本を読むような携帯端末で配信しようとしたところに技術上の無理があった。しかも、中途半端な再生装置が、 逆に作品の表現なりに影響を及ぼす(ケータイ小説)という本末転倒な事態を生ぜしめた。再生装置とリアル流通媒体が一体化し、しかも多様な形態を有する書籍の場合は、まず読書にふさわしい再生端末の新たな創造がインターネット流通の技術上の課題だったのである。  

 結局、画面の大きさを含め書籍を読むに近いインターフェースを持つKindle等の専用端末の登場は、技術上は自然の流れであり、多数の書籍内容を蓄積できるとか、本より安いとか、さらには文字拡大や音声読み上げができるといった、既存リアル書籍にない利便性・経済性と相まって、電子書籍市場は急速にたちあがった。

 こうしてみると、音楽プレーヤーやゲーム機にもなりカメラやクレジットカードやワンセグやらを搭載し、さらにスマートフォンへの各種アプリのダウンロードを可能するなど、汎用端末化を続けているようにみえる携帯電話も、その汎用化は携帯電話という「形」でカバーできる一部コンテンツの深化での発展であり、取り扱うコンテンツの種類・内容の拡大という面では限界がある。コンテンツの種類ごとに長い歴史を持つ端末の利用の「形」は、やはり長い歴史の中で定まってきたのであり、それらを電子化する場合は、やはりその「形」に応じた専用端末が求められるのである。とすれば特定のコンテンツために開発された電子端末に機能を詰め込で汎用端末化を目指すという発想より、特定の目的にあった専用電子端末を開発するという発想が、これからの新たな市場を開く近道ではないか。既存の写真立てに通信機能をつけたようなデジタルフレーム例のように。

 それは、既存のリアル物品何にでも通信チップを取り付けネットワーク化するという「ユビキタス」の発想にもどるということである(2010年4月の時点で主要携帯3社の通信モジュール契約数は、331万で総契約数に占める割合は未だ3%に過ぎない)。

【表】書籍のページと端末画面のサイズ比較
書籍 ページ 画面*インチ 電子端末


3.5 iPhone 3G、3GS、4
文庫 7.1

新書・ペーパーバック 6.6 6.7 Kindle, Kindle2
単行本 8.9
Kindle DX, iPad
雑誌 12.4 9.7
新聞紙 26.8

【図】日米電子書籍市場規模比較

経営研究グループ 取締役 市丸 博之

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